うつ病発症〜その3〜





10月に入り新しい病院に入職。

初日は院内の朝礼で挨拶した。

「新しく入りました○○です。よろしくお願いします。」

とだけ簡単に挨拶したが、心の中では「人生再スタートだ」と言い聞かせていた。

この病院ではメインとなる業務は透析。前の病院でバリバリやっていたのでそれなりに自信はあった。

初日は先輩方についてまわり、この病院のやり方というのを見学した。

2日目以降も先輩方についてまわり、補助的業務に当たった。

そんな感じで1週間が過ぎていった。しかし、どうしても前の病院と比べてしまうことがあり、例えば患者さんのキャラクターとか、清潔操作とか、施設自体のハード面的なところとか、一番大きいのは収入だ。おそらく年単位で100万円は下がってしまったのだ。入る前からわかっていたことではあったし、ここで数年キャリアを積んで他のところに転職しようという気持ちもあったが、心が折れつつあった。よくよく考えてみると、臨床工学技士の求人は新卒至上主義なところが多く、キャリアアップしようとしてもなかなか求人は少ないのだ。

また、改めて臨床に戻ったことで後ろめたさも大きく感じるようになった。臨床工学技士の世界は狭く、しかも前の施設と同じ県内だったので、僕が臨床に戻ったと前の病院のスタッフの耳に入るのも時間の問題だろう。何より、前の病院では人が少なくギリギリの体制でやっているところに僕が転職することになり、しかも快く送り出してくれたのだ。その当時は臨床を続けるならこの病院に残ると思っていたほど大好きな職場だった。

以上のような悩みや環境の変化がうつ病をさらに悪化させた。

10月の2週目は特に気分が落ち込んでおり、

「死にたい」

という4文字が常に頭の中を駆け巡っていた。もう、明るい将来が想像できなかったし、この先自分が生きているっていうイメージすらできなくなってしまったのだ。

どこで死のうとか、どうやって死のうとか、そんなことばっかり妄想していたし、googleで「死にたい」と検索しては以下のような案内が出てきた。

こころの健康相談統一ダイヤル」である。このような検索をしてしまうのはうつ病の末期症状である。

結局、「こころの健康相談統一ダイヤル」に電話することはできず、母親にSOSのメールを送信した。すぐにコールバックがあり、ここ数ヶ月で起きた出来事を話した。失恋してから涙を流すこともなかったが、この時ばかりは号泣してしまった。

とりあえず月末に母親が長野から東京にきてくれることになった。

長い間、両親とは溝があったけれども、本当に自分ではどうしようもできなくなって親に助けてもらうしか選択肢がなかった。けれども、このおかげで少し溝は埋まったのかもしれない。

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